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2015年4月 5日 (日)

山谷の豆知識③…すたれた隠語たち

どの業界でも他では使われない隠語はあるのであろうが、山谷地区などの寄せ場(日雇い労働者市場)の労働者たちによって使われてきた隠語も数多くある。

青カン、デヅラ、ケタオチ、アブレ、ドヤ、アンコ…。

そんな隠語の中でも、最近ほとんど使われなくなったものがある。

「ハコガケ」と「コヤガケ」である。

ハコガケは「箱がけ」、コヤガケは「小屋がけ」と書くのであろう。

ハコガケは今で言うところの「ダンボールハウス」、そして、コヤガケは今で言うところの「ブルーテント」のことである。

『言葉は文化』なんて言われることもありますが、こういった隠語を耳にしなくなってきたことも、寄せ場・山谷の終えんを意味しているのであろう。

ちなみに、

「青カン」は、青空簡易宿泊の略で野宿のこと。

「デヅラ」は、日当のこと。

「ケタオチ」は、程度が低い、ひどく悪いといった意味。

「アブレ」は、仕事がないこと。

「ドヤ」は、簡易(素泊)旅館のことで、ヤドを逆に読んだ言葉。ヤドとも言えないという意味らしい。

「アンコ」は、日雇労働者のこと。語源は、海底にいるアンコウのように…という自虐的な意味とも言われている。

2015年3月15日 (日)

アディクション(依存症)の怖さ

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友愛会で支援している方の中にはアディクション(依存症)の方が多い。

アルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、性依存症など、アディクションにもいろいろなものがある。

友愛会が支援している方にはアルコールと薬物の方が多いであろうか。

アルコール依存症は山谷地区の元労働者にはとても多くいる。

レッテルで言ってはいけないであろうが、山谷地区の元労働者は、独身であり、歳をとって身体もいうことをきかなくなり、することもなく、狭くて暗いドヤにいる。

そんな環境の中でアルコールを飲んでしまうのも良くわかる気がする。

友愛会の最近の傾向としては、薬物やギャンブルのアディクションの方も増えてきている。それは、友愛会にくるその時勢の中での「より生きづらい状況の方」といったものが、高齢者→精神障がい者→発達・知的障がい者と流れてきた中で、今は刑期明け(刑務所出所後)の障がい者が時勢を作っていることに関係しているのかもしれない。

話を戻すが、アディクションからの回復はとても難しい。

周りがどんなにやめたほうが良いといっても本人にやめる意志がなければやめられないのがこの病気である。

それでありながら、本人にやめる意志があっても病的欲求に一人で立ち向かうのはとても大変である。

そもそも、「本能」にまで入り込んでしまうような病気なのである。

私たちが水を飲まないと死んでしまうように、眠らないと狂ってしまうように、生理的な欲求になってしまっている状況がアディクションというものなのである。

だから仲間同士で支えあうというのが、当事者団体であるマックやダルクなどで行われるミーティング活動の意味なのだが、それでもアディクションからの回復は容易ではないのも事実である。

結果、世間からは意志が弱くてダメな人間と、より思われがちになってしまうのであろう。

そういった周囲の思いが本人をより自暴自棄にさせ、依存行為へと駆り立ててしまうという悪循環を作っていく。

友愛会の中でも、当初は「信じていたのに裏切られた」と気持ちのどこかで思ってしまう経験をしたスタッフもいた。

しかしそうではない。

アディクションという病気がお酒を飲ませ、薬物を使用させ、ギャンブルに駆り立てるのであって、その人が「裏切った」わけではないのである。

本人の意志がなくては回復できないのだけれど、本人の意志とは関係なく、病気によってとめられずに繰り返してしまう。

そうして心を蝕んでいく。

どうせ自分はダメな人間なんだ、周囲も理解してくれない…と。

このアディクションというものの怖さを多くの人が知ってほしいものである。

また桜の季節がやってくる。

この季節はアルコール依存症の方にはつらい時期でもある。

盆・暮れ・正月・花見といった世の中が「お酒」とイメージを結び付けやすい時期だから。

桜の美しさの影に、一抹の心配を抱かせる早咲きの河津桜である。

2015年1月25日 (日)

一感

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恨みと利己の連鎖が悲しい出来事を生み続けている。そんなことを感じずにはいられないニュースが続いている。ずいぶん前の原稿の中に、今あらためて読者と分かち合いたい一文がある。

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私たちの友愛会の活動は、制度がそうなら仕方がないと考えては何もできなくなります。もちろんルール(制度)をないがしろにすると言う事ではありません。矛盾を生む構図を明らかにし、一つ一つ丁寧に、「ルール」の本来あるべき解釈を探し、各々に伝えて理解を得ていかなくてはならないのです。

世の中の事象は「正しい解釈」が1つということはありません。片側から見れば「正しい解釈」でも、逆から見れば「正しい解釈」とは言えないこともあります。昔、南アフリカがまだアパルトヘイト(人種隔離政策)の只中にあったとき、黒人活動家のスティーブ・ビコ氏がこんなことを言っています。

『リベラルな白人は、私たちのことをかわいそうと思って食事を与えるとき、テーブルにつかせ、ナイフとフォークで食事を食べろといってくる。彼らリベラルが考える対等とは自分たちの考える自分たちの文化の中での「対等」という考えである。私たちはそんなことを望んでいるのではない。私たちには私たちの食事の文化がある。私たちは自分たちの培ってきた文化の中で私たちの食事をとりたいと言っているだけなのだ』

 大概、一つの集団におけるマジョリティの中で正しいと思われていること、当たり前に良いのではと考えられることに対して、われわれは盲目的に、疑問を持たず「それでいいのだ」と思ってしまうことがあります。しかし、そんなちょっとしたところにこそ、大切な視点が隠れているものです。

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友愛会の理念にもある。

主義、主張、思想、宗教を超えて共に考え悩む中にありたいものである。

 

2015年1月 3日 (土)

新年のご挨拶申し上げます

明けましておめでとうございます。

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本年も昨年同様よろしくお願い致します。

 

山谷地区から観る新年、または生活困窮者支援の現場から観る新年は、大きな揺れと変化を視野から外せないと考えられ、やや眉間に皺が寄る思いです。

山谷地区から観ると、東京オリンピック開催準備に伴う土木建築業の変化や外国人旅行者増加によるドヤの変容、触法高齢者や累犯障がい者の増加に伴う受け入れ地区としての山谷の変化などに悲喜交々を感じます。

生活困窮者支援の現場から観ると、生活保護における住宅扶助の減額、生活困窮者自立支援法の施行に伴う公的サービスの動揺、拡大蔓延する女性・子供の貧困などから深広する支援のあり方を感じずにはいられません。

友愛会の活動の中では、どれも活動当初である15年前から変わらず観てきて感じるものですが、時代のうねりによって拡大の一途をたどっている問題のように感じます。

私たちは私たちの出来ることを出来る範囲で精一杯やっていくだけであります。

ただ、そこには「スローガン」のようなものを作ることは致しません。

多くの場面でスローガンを唱え、温度を高めてことにあたることがあるように思いますが、言葉を創るとその言葉に支配され、観ていたものが見えなくなることもしばしばあります。

いつもと変わらず、「待ち」「前向きにあきらめ」「置き」ながら日々を進んでいきたいと思います。

そんな活動の中に、多くの方の生活と安心を共に見出していきたいと思います。

 

平成271月吉日

特定非営利活動法人 友愛会

理事長 吐師秀典、拝

2014年12月 5日 (金)

最期の頼み事

友愛会の宿泊所に入所していたALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っていた方が逝去された。
長い付き合いの方だった。
友愛会開所以来の利用者さんで、15年以上の付き合いであった彼。
入所時にはすでにALSを発症していた。
今年facebookなどのソーシャルメディアや、youtubeなどの動画投稿サイトをとおして世界中に広がった運動「アイス・バケツ・チャレンジ」によって、このALSという病名や病識が広まったであろう。
ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される難病である。
原因不明の難病のため、アイス・バケツ・チャレンジはその研究費寄付を目的とした運動である。
多くの症例において、発症から3~5年で呼吸に関与する筋も侵され、人工呼吸器を使わなくては生きられない状況になる中、彼は15年以上もの間、自分なりに筋力の低下を防ごうと懸命に毎日を過ごし、亡くなる一月前まで買い物にも出かけていた。
人に甘えたくはない、入院もしたくない。
出来る限り自分で身辺のことは処したいという彼の思いを大事にしてきた。
最期の一月、頼み事などはほとんどしなかった彼が、スタッフに些細なことを頼むようになった。
申し訳なさそうに頼み事をする彼は、日に日に声も弱まっていった。
そして、最後の頼み事は「病院に行くので救急車を呼んでくれ」。
病院に行ってすぐに彼は亡くなった。
また一人、その頑固なまでの生き方に敬服させられていた方が人生の幕を閉じた。

合掌

2014年11月19日 (水)

T画伯の絵

友愛会の利用者のTさんは、イラストを描くのがとても上手である。

代表の吐師(はし)のイラストを描いてくれた。

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2mというのは、やや大きくし過ぎだが、特徴をとてもよくつかんで描いてくれている。

他スタッフは、最近の”ゆるキャラ”風に描いてくれた。

スタッフのSさんは、似てないと言っているが、雰囲気は出ている。

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「Sモン」って名前にしている。

そして、医学生で友愛会の宿直のアルバイトをしているS君のイラストは、白衣バージョンで描いてくれた。

やはり上手いものである。

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素敵な絵を描いてくれてありがとう(^^)

2014年10月29日 (水)

山谷地区で介護の仕事をしてみませんか

友愛会のヘルパーステーションで働いてくださるヘルパーを募集しています。
手前みそながら働きやすい職場だと思います。
興味のある方、ご連絡ください。
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訪問介護員(ヘルパー)の募集
【常勤の場合】
業務内容  訪問介護業務一般
資格など  介護福祉士免許 or ヘルパー2級以上...
年齢    不問
就労時間  9:00~18:00 
休日    完全週休2日(夏休み・年末年始休暇あり)
給与    214,000円以上
賞与    昨年度実績2.0以上
交通費   実費(上限20,000円まで)
法定福利  社会保険、厚生年金、雇用保険、労災保険
  *詳細はドアを開けてお聞きください。
【パートorアルバイトの場合】
業務内容  訪問介護業務一般
資格など  介護福祉士免許 or ヘルパー2級以上 
年齢    不問
就労時間  相談に応じて
勤務形態  時給制及び登録制どちらも可
給与    お聞きください
交通費   実費(上限20,000円まで)
保険    就労時間などに合わせ各種対応
  *詳細はドアを開けてお聞きください。

〈お問合せ〉
特定非営利活動法人友愛会
ステーション ゆうあい
電話    03(5824)9135
メール   hashi@you-i-kai.com

2014年10月11日 (土)

山谷の豆知識②…ドロボウ市

 山谷地区では、4050年前から続く朝市があります。友愛会の本部の裏通りを50メートルばかり行ったところで、朝の4時過ぎくらいから毎朝ひらかれています。日雇労働者市場(寄せ場)として最盛期を博した頃は、大工道具、什器などを中心に仕事現場で必要なものが、各露店にところ狭しと並んでいました。中には出処の分からない盗品などもあったことから「ドロボウ市」と呼ばれるようになったようです。

 私が山谷地区に来て間もない頃(20年以上前)、私が活動していたボランティア団体にシェラフ(寝袋)が200個ほど寄付されてきて、炊き出しに合わせて山谷のおじさんたちに配ったことがありました。困ったことに、翌々日のドロボウ市に幾つか売られていました。私も若かったため、苛立たしいというか、悲しいというか、そんな気持ちになったのを覚えています。おじさんたちにしてみれば、一晩寒さをしのいだあと、食べ物や飲み物などがないのであればシェラフを売って金に換え、腹を満たすのは一番有意義な使い方なのかもしれません。そうして、また寒い夜になる前に毛布などを探す。毎日がまさに「その日暮らし」でなければ寝る事も食べる事も滞ってしまう・・・、若い時分の私にはパッと思いが至らない「生き方」なんですよね。

 そんなこんなで、山谷地区には何でも買ってくれるバイヤーのような方もいるようで、そんなものも含め「ドロボウ市」の商品は色々なものが並んでいるのです。近頃は、めっきり仕事に行く労働者が減ったことと、新しいドヤに泊まっている外国人などもドロボウ市に来たりするため、売っているものも様変わりしました。古着や時計、小物、海賊版のCDやDVDなどが多くなりました。交番が近くにありながら相も変わらず出処が分からないものもならんでいますが、いまだに残る、数少ない山谷地区の風景といえるかもしれません。露店がめっきり減ったのは寂しい限りではあるが…。

 

2014年9月21日 (日)

明け方の蚊取り線香

~以前、友愛会の支援者の方へ書いた手紙です~

 「引出がなくなる」、「八方ふさがり」。スタッフが最近、これに似た言葉をよく口にします。何をしていいのか、どこに次へ進む答えがあるのか、それがわからなくなることが私達の活動の大部分をしめているようです。まるで季節を違えた渡り鳥のようにとでも表現すればいいのでしょうか。

 

 私ども友愛会は、「宿泊所」と言われる施設を4ヶ所運営しています。この「宿泊所」というのは、生活保護を受けている方で身寄りがない方や高齢の方、慢性疾患や心の病の方、年金を受け一人暮らしの方、無認可の金融機関での借金を作ってしまった方、家庭内暴力から逃げてきた方など、様々な理由で生活の場に苦労する方々が利用するところです。特に昨今は、心の病を患う方や、これまでの苦しい自らの人生のため頑なに心を閉ざす方などが多く利用しています。本来、「宿泊所」というのは、第2種社会福祉事業施設という社会福祉法上の認可を得て、「火災・立ち退き・高家賃等により住宅に困っている低所得の人及び生活困難等により住宅確保のできない方」(社会福祉の手引2003 東京都刊行物P202)を対象としたものです。しかし、現実的に利用者の大半は、「路上生活者」「野宿生活者」「ホームレス」などと呼ばれている住所不定の方々の一時的あるいは緊急的な生活空間となっています。

ホームレスになってしまうのはどうしてなのか?もちろん、その答えは十人十色ですが、多くの方は借金が端を発していたり、日雇い労働で生活していたが高齢になり収入もなく年金も受給できない場合や、家庭内暴力から逃げてのこと、あるいはリストラなどが多いでしょうか。皆さんは「そんなことは頻繁にはないだろ」と思われることでしょうが、私たちの周りではよく耳にするのです。たとえば、勤めていた会社が倒産し、家族に愛想をつかされ一人になり、自殺しようとしたが死にきれず路上生活者になるといった話はそんなに珍しい話ではありません。「好きで路上生活をしているのだろ」といった声を巷で耳にすることがありますが、路上生活者の大半は、自殺などを考え、でもそんな簡単に死ねるわけではなく自分のプライドを捨て、「路上生活は好きでやっているのだ」と自分にも他人にも言い聞かせている方が多いのです。これは、推測で言っているのではなく、私自身が今まで話してきた多くの路上生活者との会話がそれを裏付けてくれます。路上生活者のみならず、一様にしてホームレスになるきっかけは、家庭内暴力から逃げた人にしろ、知的あるいは精神障害を持つ身寄りのない人にしろ、自分ではどうしようもないことがほとんどなのではないでしょうか。そうでなければ誰が好んで住む家もお金も家族もない生活を望むでしょうか。

 

友愛会のスタッフは、宿泊所に入所してくる様々な悩みや病いを抱えた人たちと、その悩みの解決、病との付き合い方を一緒に考えながら、利用する人がよりよい生活を営めるようにと日々の活動に取り組んでいます。私を含め、なにぶん若いスタッフが多いため、利用者の平均年齢が60歳を越えていることを加味すると、利用者の子や孫の世代といって良いでしょう。当たり前のことながら人生の先輩である利用者の皆さんと、たとえばアルコールを断つために日々がんばっている人や、仕事をやる気になれない人などと一緒に克服または自立に向けて歩むにも、この年の差はいかんともしがたい壁となる場合があります。利用者本人にとって自分を律するための厳しい選択をするのですから、魔がさすときや逃げたくなるときなどの誘惑はいっぱいあるでしょう。そんなとき、自分の子供より若いスタッフの正論としての言葉は、腹が立つでしょうし、えらそうにも聞こえるでしょう。年の差のみならず、彼ら利用者の様々な体験を、私たちスタッフは実感として知らないのですから、「いつも正しいことを言うが、そんなことは知っている。できないものは仕方ない」と思われて当然なのでしょう。

人にかかわる仕事というのは難しいものです。特に、医療や福祉といった何らかのお手伝いをする仕事は、相手に我慢することを要望したり、できないことをできるようになろうと背中を押したりすることが多い仕事です。分かりやすく言うと「変わるためのお手伝い」といえばよいでしょうか。しかし、「変わる」なんてことはそう簡単にできるものではありません。しかも、歳を重ねた人たちが今までの自分を変えるなんてことは、それは100,000ピースのパズルを組み立てるより難しいでしょう。それが自分ではなく、相手(他者)が変わることへの参加となるとなお更です。そして、私たちお手伝いをする者が誤った感覚を持つならば、要望が強要になり、背中を押すことが無理やり手を引くことになることだってあります。その人の生活であり、その人の人生。私たちがどこまでかかわることが良いのかと日々スタッフは悩みます。「私のしていることは押し付けではないのだろうか」「私に彼らの考えに口出しする権利なんてあるのだろうか」と。

 

悪く言えば“お節介”なこの活動に対し、私自身は「変える」のではなく「伝える」活動だと解釈しています。答えを求めるものではなく、考えるきっかけや材料をそこに提示する仕事。そのきっかけや材料を使うか使わないかは、本人の選択でしょうし、より多くの材料があり、間違った材料に本人が気づけばそれが次への一歩になると思います。そのとき「伝える」ことに私たちが真剣に取り組めば、たとえその場で伝わらなくとも言葉と思いが彼らに残る。この残ったものが「きっかけ」や「材料」になるのであれば、それこそが私たちの活動が“お節介”から“お手伝い”へと意味を持つものになると信じて活動しています。

答えを求めない活動というのは、目に見えるゴールがないことであり、進む方向をなかなか設定できないことといえます。ぐるぐる回っているだけで、闇の中にいるように思えることもあります。でもそれは、暑い夏の夜に焚く蚊取り線香と同じでしょう。暗い夜にいっこうに進まない火であり、くるくる回っているようでも、夜明けは必ず来るものであり、蚊取り線香は朝にはその火を真ん中まで進め、その蚊よけという自分の仕事を全うするのです。私たちの活動も明け方の蚊取り線香になれるものでありたいと思います。

2014年8月31日 (日)

山谷の豆知識①…昔の山谷の呼び名「草町」

山谷の豆知識を紹介していくシリーズの第1回目。

昭和前期、つまり戦前の山谷地区のことは文献にもあまり書かれていないことが多い。

実は戦前の山谷地区は、「草町」と呼ばれていた。

これはあまり知られていないのであろう。

明治時代に政府は、現在の山谷地区にあたる浅草北部を含む東京内の26ヵ所を、木賃宿(素泊まりの安宿)営業指定地とした。

この木賃宿街は関東大震災で全焼してしまったのだが、その後すぐに復興し、戦前の最盛期には100軒の宿が立ち並んでいたらしい。

昭和に入ってすぐに、宿の呼称は木賃宿から簡易宿へと変更された。

この簡易宿に泊まりながら不定期労働に就く者(この頃は「日雇労務者」と呼んでいた)が多かったのであるから、昭和前期においても、「草町」は”寄せ場”であった。

戦後との大きな違いは、市場の場所である。

戦前までは「泪橋」の交差点が求人・求職交渉の中心地であった。

ご存じのとおり、戦後は「泪橋」からやや南下した辺りが中心地となった。

山谷地区とは…

現在の住居表示で言うと、東京都の台東区清川、日本堤、橋場と荒川区の南千住にまたがる地域を指す。戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、東京の土木・建築業などに従事する日雇労働者が多く住み、季節労働者や出稼ぎの人も多く集まっていた。「日雇労働者市場」とか「寄せ場」と言われていて、大阪の西成区(あいりん地区:釜ヶ崎とも言う)、横浜の寿町と共に「三大寄せ場」と言われていた(「寄せ場」、「日雇労働者市場」共に差別的な言葉と言われることもあるのでこの表現はこの先は使いません)。日雇労働者の人達は、その名のとおり「日雇い」での就労なので仕事があるときもあればないときもある。もちろん、本人が仕事に行かなければ仕事もしない状態になる。そうなるとお金がないのでドヤ(簡易旅館)に泊まれず、野宿をすることになってしまう。これを労働者の人達は「アオカン」と言っている。語源は「青空簡易宿泊」の略だと言われているが本当のところはわからない。今で言うところの「路上生活者」や「ホームレス」に近いのであろうが、そういう意味では、山谷地区では道端で寝転んでいる人というのは昔から珍しくなかった。歴史的には、江戸時代から山谷地区の原型はあり、木賃宿(食事を提供しない素泊まり専門の旅館)が多く立ち並んでいたようである。その頃は日光街道の江戸方面の最初の宿場町であった。山谷地区のシンボルとも言える「泪橋交差点」は、現在は交差点の名前だけで橋はないが、昔は橋があり、橋を越えたところに「小塚原処刑場」があったことから、囚人やその家族などが涙したとして「泪橋」となったと言われている。処刑場の近くであって、しかも近くには遊郭「吉原」があったため(今でも近くに吉原のソープランド街がある)、表現が悪いが下層階級の地域であったと言える。近代になり、戦前より既に多くの貧困層や労働者が居住していたが、戦後になると、東京都とGHQによって戦争被災者のための仮の宿泊施設(テント村)が用意され、これらが本建築のドヤへと変わっていったようである。1960年代以降、山谷地区では、警官と労働者の間で何度も暴動(山谷騒動)が起こった。つい最近まで「一人では恐くて歩けない」というイメージができてしまったのはこの暴動のイメージからであろう。「山谷」という地名は、1966年の住居表示改正でなくなってしまった。

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