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2014年2月

2014年2月26日 (水)

相談できる相手がいることの大切さ

友愛会で活動していて、相談できる相手がいることの大切さをしみじみ痛感する。

一人暮らしの高齢者の方、精神障がいを患う方の家、路上生活を長年してきた方…、そんな方々は話せる相手がいないことが多い。

それは、医療福祉の専門職が身近にいないという意味ではない。

また、誰ともかかわりがないということでもない。

「話しやすい相手」がいないのである。

近隣の在宅医の先生から相談があり、ボランティアで週に一度顔を出しに行っていたドヤ(簡易旅館)に暮らす人がいた。

看護師としてではなく、話し相手として。

もちろん、健康についても気になる点があったし、部屋の中はごみ屋敷になっていたのでその整理もできればとの医師から相談であった。

ただ、彼はかたくななところがあり、処方薬は飲まないし、部屋の掃除もさせてはくれない。

あえて「顔なじみの人」になることをめざした。

そして通い続けて1年、彼は自分の体調が悪いくなって、自分から「どうにかしてくれ」と言ってきた。

そう言える相手が必要なんだと改めて感じる。

資格や技術ではなく、人間関係が第一歩。

当たり前ながらなかなか昨今の世の中であまりできていないこのことが大切なのであろう。

2014年2月13日 (木)

利用者さんたちとの一泊旅行

21112日で、友愛会の利用者さんたちとの恒例一泊旅行に行ってきた。

実はここ12年は、なんだかんだとバタバタしていて旅行にも行けてなかった。

ちょっと間をおいての旅行で利用者の皆さんは上機嫌(^^)

熱海温泉に行き、梅まつりを見て、熱海城も見てきた。

宿はきれいなところで、食事はバイキング。

好きなものを好きなだけ食べていた。

温泉に利用者さんとつかっている時、介護度の高いAさんの入浴介助で身体を洗っていたら、Bさんが私の背中をながしてくれた。

ほのぼのとする時間。

Bさんの、そんなそぶりと笑顔を見たのは久しぶりである。

利用者さんたちは、生活保護や年金だけの収入で生活している。

身寄りもない。

しかも、病気や障がい、高齢で好きなところにもなかなか自由に行けない。

なかなか生活の中での楽しみが見つけられない利用者さんたち。

だからこそ、しょせん熱海旅行。されど熱海旅行なのである。

大切なひと時である。

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身体が不自由な方も多いので、車旅でした。

2014年2月 9日 (日)

★第2回「学習し直し会」のお知らせ★

テーマ:発達障がい・知的障がいを知ろう

「発達障がい」や「知的障がい」ときくと「子ども」のイメージを持つ人も多いかもしれません。そんな中、このところ「大人の発達障がい」なんて言葉を耳にしている人も多いと思います。決して子どものときだけの話ではないですし、皆さんの日常の人間関係の中でそういった障がいを持った方と接することがないわけではないと思います。
「何となくなら知ってるよ」という人も多いと思いますが、そんなあなたは「発達障がい」や「知...的障がい」だという方と会ったり、話したりするときに戸惑ってはいませんか。また、ちょっと変わった人がいたらすべて「発達障がい」や「知的障がい」だと言って暗に避けようとしていませんか。これを機会に、まずきちんと知ることからはじめましょう。もちろん、一から学習できる「学習し直し会」ですから、分かりやすく、そしてその場で疑問にお答えします。

【日 時】 2014年3月8日(土)18::30~
【場 所】 訪問看護ステーション ゆうあい
(住所:台東区清川2-2-3) 
【参加費】 200円(資料代・飲食代として)
※参加予約は下記連絡先までお願いします。(当日参加も可)
【連絡先】 電 話:03-5603-2829
                FAX:03-5603-2836
            メール:hashi@you-i-kai.com 

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2014年2月 8日 (土)

雪と路上生活

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20年に一度の大雪とニュースで報じられている。

すでに雪が積もってきた。

路上生活の人たちは寒さと雪から逃げるのに大変な時を過ごすことになる。

そして、寒さにやられて亡くなってしまう方も多いのがこんな日である。

もう20年近く前になるが、大雪が降った翌朝にある公園で亡くなっている人がいた。

小さなダンボールハウスの中で丸まって寝ていた。

周りのダンボールハウスに住む人たちは、ここ何日か咳をしていて、飯もあまり食べていなかったと言っていた。

亡くなったおじさんが飼っていた猫が寄り添って寝ていた。

猫がくっついていたあたりの肌だけがまだ温もりがあったのを覚えている。

その微かな熱がその人の呼吸のように感じた記憶…。

雪の日はいつも思い出す悲しい思い出である。

2014年2月 1日 (土)

山谷地区という街の説明

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※画像は山谷地区(ドヤ街)の朝


山谷地区とは、現在の住居表示で言うと、東京都の台東区清川・日本堤・橋場と荒川区南千住にまたがる地域のことです。戦後の復興期にGHQの指示で東京都が戦争被災者のテント村を作ったことがきっかけで労働者が集まり、高度経済成長期には東京の土木・建築業などに従事する日雇労働者が多く住み、季節労働者や出稼ぎの人も多く集まっていた。東京タワーやサンシャイン、首都高などは、山谷の日雇労働者が多く参加して作られたものだそうです。

山谷地区はこのため、「日雇労働者市場」、あるいは「寄せ場」と言われていて、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区:西成区)、横浜の寿町と共に「三大寄せ場」と言われていました(「寄せ場」、「日雇労働者市場」共に現在は差別的な言葉と言われることもあるのでこの表現はこの先は使いません)

日雇労働者の人達は、その名のとおり「日雇い」による就労なので、仕事があるときもあれば、ないときもある。もちろん、本人が仕事に行かなければ仕事もしない状態になってしまいます。そうなるとお金がないのでドヤ(素泊まりの簡易旅館、現在でも一泊1500~3500円程度)に泊まれず、野宿をすることになってしまう。これを労働者の人達は「アオカン」と言っています。語源は「青空簡易宿泊」の略だと言われていますが正確なところは分かりません。今で言うところの「路上生活者」や「ホームレス」に近いのでしょうが、そういう意味では、山谷地区では道端で寝転んでいる人というのは昔から珍しくなかったのです。

歴史的には、江戸時代から山谷地区の原型はあり、木賃宿(食事を提供しない素泊まり専門の旅館)が多く立ち並んでいたようです。その頃は日光街道の江戸方面の最初の宿場町でした。山谷地区のシンボルとも言える「泪橋交差点」は、現在は交差点の名前だけで橋はありませんが、当時は橋があり、橋を越えたところに「小塚原処刑場」がありました。橋を越える囚人やその家族などが涙したとして「泪橋」となったと言われています(ちなみに流れていた川の名前は「思川」と言いました)

処刑場の近くであって、しかも近くには遊郭「吉原」があったため(今でも近くに吉原のソープランド街がある)、表現が悪いですが、下層階級の地域であったと言えるのでしょう。

時はすすみ、1960年代以降、山谷地区では、警官と労働者の間、ヤクザと労働者の間で、何度も暴動(山谷騒動)が起こりました。つい最近まで「一人では恐くて歩けない」というイメージができてしまったのはこの暴動のイメージからでしょう。「山谷」という地名は、1966年の住居表示改正でなくなってしまいました。

1990年代のバブル崩壊以降は、めっきり仕事が無くなり、日雇労働としての市場は崩壊状態になりました。時を合わせるように、山谷地区の労働者たちは高齢化し肉体的にも仕事が出来なくなってきました。結果、アオカンが長期化し、路上生活者となっていきました。ボランティア団体の炊出しなどが行われるようになると、路上生活をする人達がより集まるようになり、「ホームレスの街」へと姿を変えました。

日雇労働者がいなくなった街で、宿泊客がいなくなったドヤはどうしたのかというと、大きく二種類に分化しました。一つは、生活保護の人を対象としたドヤ。元々の日雇労働者で高齢化し生活保護を受けた人や、住所が不定の生活保護受給者の受け皿へと変わっていきました。もう一つは、外国人旅行者や若年旅行者を対象としたドヤ。サッカーの日韓ワールドカップを契機に、海外の東京ガイド本にドヤが紹介されたことを皮切りに、ドヤの中でもハイグレードなところはバックパッカーなどの旅行者を受け入れるようになりました。

これによって、「ホームレスの街」は、「福祉の街」という側面と「バックパッカーの街」という側面をもった町へと変容しています。

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