フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

ウェブページ

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »

2014年6月

2014年6月29日 (日)

山谷を見てきた建物

現在、友愛会の本部事務所が併設されている男性用宿泊所「友愛ホーム」の耐震補強工事を行っている。

友愛ホームは、もともと居酒屋さんだった建物の内部を改造して宿泊所にしたものである。

大家さんは居酒屋の店主夫婦だった方で、とても優しい方である。 今回の工事は、古い建物で建て替えたいところだが、それも難しいので、せめて災害に対して少しでも強くしておきたいと大家さんがおっしゃってくださってのことである。

この建物は、戦後の山谷の歴史をずーっと見てきた。

1960年代~1980年代の山谷暴動が盛んだった頃の写真を見ても建物が写っている。

後期の山谷暴動は、まさにこの建物の目の前で労働者、機動隊、暴力団が衝突し合った。

古くからある山谷地区の建物は、ほとんどが壊されたり、建て替えられたりである。

趣のあるドヤ(簡易旅館)の多くも閉鎖、取り壊し、建て替えとなっている。

時代は移りゆくもの…。

それでももう少しのあいだ、この建物と共に、山谷の移りゆく姿を見ていきたい。

2004_2

※画像は2004年位の「友愛ホーム」。隣のドヤは今は駐車場に変わってしまった。

2014年6月11日 (水)

私たちが活動する意味

先日のことである。

息子からDVを受けている高齢女性の支援についてのコンサル的な相談が他県の知人からあった。

詳しく状況を聴いて幾つかの方法をアドバイスした。

そして最後に、「それでも上手くいかなかったら友愛会に連れてきて」と付け加えた。

数日後、無事に安心できる環境を確保できたと連絡がきた。

ほっと安心したと同時に、以前あったとある老女の出来事を思い出した。

78年くらい前の冬ことである。

A福祉事務所の高齢福祉課から、週末の夕方に電話が掛かってきた。

80代後半の女性を保護して欲しいという依頼だった。

詳しく話を聴くと、息子夫婦と同居しているのだがの嫁との関係が悪いのだという。

その「関係が悪い」が常識の域を超えていた。

自宅のガレージ(車庫)の中、シャッターに一番近いところに、汚くなった布団を置いて、そこで80代後半の老女は生活させられているというのである。

しかも、そのような生活を半年以上もの間…。

私たちはすぐに福祉事務所に向かい、その老女と会って可能ならすぐにでも友愛会の施設に入所させると伝えると、福祉事務所の担当者は来週で良いというのである。

来週まで、どこか彼女が泊まれる別の場所を用意できたのかと尋ねると、彼女はガレージにいるというのである。

まだ若かった小生は、「なぜそんなひどい環境に帰したのか?福祉事務所は何を考えている」と受話器に向って声を荒立てた。

担当者の説明では、恐妻に頭の上がらない息子がそっと福祉事務所に電話をしてきて状況が分かり、嫁がいない隙にその家に訪問してきての電話であると言う。

翌週、嫁が朝からいない日に福祉事務所に来るように老女に伝えているから、その日に友愛会で保護をして欲しいとのことであった。

それでも私は納得がいかなかった。

冬である。朝晩0℃を下回る時期であった。

外とかわらない状況に80代後半の老女がおかれている。

もしかしたらパーソナリティ障がいも考えられる嫁の所業を考えると問題の根は深い。

自分の母へそのような所業をする妻に何も言えない息子と、ある意味、事の重大さを理解していない福祉事務所にも苛立ちを感じていた。

結局、福祉事務所をせかして、その日のうちにとあるシェルターに避難できるようにした。その老女の家が友愛会からとても遠いこともあり、また既に夜中になっていたので、近隣のシェルターへの保護を考えたのであった。

友愛会のスタッフといつも話になる。われわれの活動は、決して十分と言えるケアや相談、支援にまではまだまだ至っていないが、この80代後半で寒さに震え、肉親の冷たい心に震えている老女のように、友愛会を必要とする人がいる限り、よりしっかりとした活動にしていくのはもちろんのことだが、何よりも活動を続けていかなくてはならないのだと。

私たちが活動を続ける意味の一つである。

« 2014年5月 | トップページ | 2014年7月 »