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2014年7月

2014年7月27日 (日)

今「貧困」と言われているものとは何なのか

ここ最近、「貧困」という言葉がよく使われるようになった。

この「貧困」は何をさしているのか。

先般、講演依頼を受けた内容の一部を基に、まとめたものをブログにあげてみる。

 

1)相対的貧困と絶対的貧困

昨今の日本で言われている「貧困」は、大抵は“相対的貧困”のこと。相対的貧困は、「所得が所得水準の中央値1/2以下にある状態」。つまり、年収が日本の中で真ん中の人の半分以下しかない状態のことを意味します。この相対的貧困の比率が、日本はOECD(経済協力開発機構)加盟国中2位であり、生活水準の低い層(貧困層)が多いと言われている。日本の相対的貧困率はおよそ16%。つまり、約6人に1人は経済的に窮しているということ。この相対的貧困というのは、その国の生活(所得)水準に大きく左右される考え方である。日本ほど基本的な生活水準が高い国では、相対的貧困状態であっても食べられないという状況には陥ってはいないことが多い。そのため、これを「見えない貧困」と表現している人も多い。つまり、相対的貧困は、「飢餓」を表す貧困ではなく、「格差」を表す貧困と言える。因みに、相対的貧困と対義的な意味(飢餓としての貧困)での「貧困」としては、絶対的貧困(人間として最低限の生活をも営むことができないような状態:国際的には1ドル/日以下の基準)がある。日本でも近年、餓死事件の報道がある。絶対的貧困も決して遠い地の話ではない。

2)経済的(金銭的)なことがこの国の貧困なのか

もちろん、相対的貧困が「食べられる」状態であっても、生活上大きな課題や問題をもたらすのは事実。それは相対的貧困が「余地がない」、「ためがない」という状況を作るから。たとえば「病気になる」と突然の出費に加えて、収入も減ったり無くなったりする。これは「余地」や「ため」がないことで起きる。決して「食べられていれば大丈夫」と楽観するものではない。ただ、ここまで述べてきた経済的(金銭的)な意味での「貧困」だけが、この国が直面している「貧困」なのかというと、おおよそイコールとは言い難い。現状の「貧困観」を作っているのは、経済的な貧困に加えて、「人間関係の貧困性」や「精神的な貧困性」が同居しているからと言える。「人間関係の貧困性」とは、“孤立”や“孤独”と言えようか。「貧困」といえる状況にある人たちの多くは単身世帯である。世帯のことだけではなく、核家族化が進んで以来、代々の家や土地から離れ借家での生活を続けてきた人が多い昨今、ご近所付合いは影をひそめ、幼少からの友人も生活空間にいないことが多い。「家族以外の人間関係」にも孤立が見られる。そして、社会的病理とも言えるパーソナリティ障がいや障がいとは言えないまでもコミュニケーションが苦手な人が増えていることも孤立、孤独を強めている。「精神的な貧困性」とは、“諦め”や“悲観”、“弱気”と言えようか。「頑張れば今より良くなる」といったポジティブな風潮は、「失われた10年」以降感じられない。現状を打破しようにも、好転させる手立てが見つからないことを繰り返し経験する中で、自信や前向きな考えを持てなくなる。

3)現在の「貧困」の姿

「余地」や「ため」をなくすのは経済的な貧困だけではない。「人間関係の貧困性」や「精神的な貧困性」もそれらをなくしていく。

たとえ話を書こう。

‐‐‐

Aさんは、小さな商店を営んでいたが、歳をとり景気も悪いので店を閉めた。子どもは独立して都会に出て仕事をし、そのまま家庭を築き暮らしている。高齢になって夫婦二人国民年金で生活していたが、妻が認知症になってしまう。自分自身も出身地ではないため、近くに親戚はいない。子どもも気にかけてくれるが、孫は高校生でお金がかかっていて仕送りできるわけでもなく、仕事の都合で滅多にくることもできない。妻と一緒に施設に入居しようにも中々空がなく、空いているのは高額な有料老人ホームだけで入居できない。妻だけ入所させることも考えたが、それでも同じ状況である。介護保険の在宅サービスを入れるが、自己負担と、医療費、慢性疾患を患う自身の医療費などもかさむ。妻のおむつ代なども上乗せされていく。妻の特別養護老人ホームの空待ち申請をすすめられるが、2年くらい待つと聞かされてはその頃には二人とも死んでしまっていると思ってしまい申請もする気にならない。渋々申請するが状況は変わるわけもない。年金支給額は二人合わせて100万程度。家があるから何とか暮らしているが、介護保険で住宅改修をしてもあちこち段差があって、妻は転倒して骨折。入院となった。低所得区分で費用は月々24600円だが、何だかんだと色々かかり50000円位にはなってしまう。

‐‐‐

この話はたとえ話であるが、何一つ特別な状況はないと思う。いつでも現実的に起きそうなことであり、一つの事例にあれこれ悲惨な状況を詰め込んだ話でもない。「経済的な貧困」に、「人間関係の貧困性」や「精神的な貧困性」が重なっている、この姿が現在の貧困と言われるものであると思うのである。

2014年7月12日 (土)

盆の迎え火

7月13日は盆の初日。

家門で火をたき、祖先の霊を迎える。

本来は旧暦の7月13日に行われていたもの。

今は、地域などにより新暦の7月13日や1カ月遅らせた新暦の8月13日などに行われている。

迎え火の仕方は地域によって色々ある。

  • もっとも一般的な方法は、家の門口や辻で皮を剥いだ麻の茎を折って積み重ねて火をつけるというもの。
  • 関東地方では、麦わらを焚きながら、「盆さま、盆さま、お迎え申しあげます」といった掛け声をかける。

    そして、そのあとで子供がその火を持って、ふたたび火を焚くというもの。

  • そのほかにも、墓から家までの道程に、白樺の皮を竹につけたものを108本差していき、火をつけていくなんてものもある。
  • 総じて、盆の迎え火の火種は、夕方にその家の菩提寺まで墓参り行き、そこで頂いてくる。

    よく迎え火をまたぐこともしますが、これは病気から身を守るという意味がある。

    そのため邪気を出すということで、またぐ方向は、家の方から外に向けてまたぐ。

    現在は迎え火をする家も少なくなった。

    友愛会の利用者で他界された人は、15年の月日で100名以上となった。

    7月13日の夕刻、現代的ではあるが玄関の前で小さな提灯に火を灯して、迎え火をしたいと思う。

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