一感
恨みと利己の連鎖が悲しい出来事を生み続けている。そんなことを感じずにはいられないニュースが続いている。ずいぶん前の原稿の中に、今あらためて読者と分かち合いたい一文がある。
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私たちの友愛会の活動は、制度がそうなら仕方がないと考えては何もできなくなります。もちろんルール(制度)をないがしろにすると言う事ではありません。矛盾を生む構図を明らかにし、一つ一つ丁寧に、「ルール」の本来あるべき解釈を探し、各々に伝えて理解を得ていかなくてはならないのです。
世の中の事象は「正しい解釈」が1つということはありません。片側から見れば「正しい解釈」でも、逆から見れば「正しい解釈」とは言えないこともあります。昔、南アフリカがまだアパルトヘイト(人種隔離政策)の只中にあったとき、黒人活動家のスティーブ・ビコ氏がこんなことを言っています。
『リベラルな白人は、私たちのことをかわいそうと思って食事を与えるとき、テーブルにつかせ、ナイフとフォークで食事を食べろといってくる。彼らリベラルが考える対等とは自分たちの考える自分たちの文化の中での「対等」という考えである。私たちはそんなことを望んでいるのではない。私たちには私たちの食事の文化がある。私たちは自分たちの培ってきた文化の中で私たちの食事をとりたいと言っているだけなのだ』
大概、一つの集団におけるマジョリティの中で正しいと思われていること、当たり前に良いのではと考えられることに対して、われわれは盲目的に、疑問を持たず「それでいいのだ」と思ってしまうことがあります。しかし、そんなちょっとしたところにこそ、大切な視点が隠れているものです。
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友愛会の理念にもある。
主義、主張、思想、宗教を超えて共に考え悩む中にありたいものである。
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コメント
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実にそうありたい。おそらく良かれと思ってした事なんでしょうね。過去のことも。
投稿: | 2015年4月27日 (月) 09時36分